マンション経営の事業承継|家族への引き継ぎガイド

野口 真一(大家One 運営者)
母がマンション2棟を経営。その管理を間近で見てきた経験から賃貸管理SaaS『大家One』を開発・運営しています。
私は今、賃貸物件管理のシステムを作る仕事をしていますが、そのきっかけの一つは、母が長年マンションを2棟経営してきた姿を間近で見てきたことでした。母は入居者対応から家賃の入金確認、修繕の手配まで、ほぼひとりで切り盛りしてきました。几帳面な性格で、通帳と手書きの帳面を突き合わせながら家賃を管理する姿を今でも覚えています。
ただ、母がずっと元気に経営を続けられる保証はどこにもありません。数年前、親戚の集まりで「このマンション、いずれ誰がどう引き継ぐのか」という話題が出たとき、家族の誰もが明確に答えられませんでした。経営そのものは黒字で安定していたのに、「その先」の設計図がまったくなかったのです。この記事では、そのときに私自身が調べ、専門家にも相談しながら学んだことを、同じ立場にある方に向けてまとめます。
マンション経営における事業承継とは何か
「事業承継」というと、工場や店舗を持つ中小企業の話に聞こえるかもしれません。しかし中小企業庁は事業承継を、後継者に経営権や資産を引き継ぐ取り組み全般として位置づけており、個人事業として不動産賃貸業を営むオーナーも本質的には同じ課題を抱えています(中小企業庁「事業承継」)。
アパート経営やマンション経営における事業承継とは、単に建物の所有権を移すことだけを指しません。次のような要素すべてを、次の世代(多くの場合は子)に引き継ぐことを意味します。
- 建物・土地という「資産」の名義
- 入居者・保証人・賃貸借契約という「関係」の情報
- 家賃の集金、滞納対応、修繕発注といった「運営ノウハウ」
- 金融機関との融資関係、火災保険などの「契約群」
うちの母のケースで痛感したのは、最後の「運営ノウハウ」と「契約群」が、実は最も見えにくく、最も引き継ぎが漏れやすい部分だということです。誰がどの管理会社と付き合いがあるのか、どの部屋にどんな設備トラブルの履歴があるのか。こうした情報は、経営者本人の頭の中にしか残っていないことが少なくありません。
何も決めないまま時間が過ぎるとどうなるか
高齢の大家が経営判断を先送りにするリスクは、統計にも表れています。国土交通省の空き家対策特設サイトによれば、全国の空き家は増加を続けており、所有者の高齢化や入院・施設入所によって管理が行き届かなくなることが、空き家化の主要な要因の一つとして挙げられています(国土交通省「空き家対策」特設サイト)。
賃貸経営中の物件であっても構図は同じです。オーナーの判断能力や体力が低下すると、次のような問題が連鎖的に起こりえます。
- 修繕の意思決定が遅れ、空室が長期化する
- 賃貸借契約の更新・解約手続きが滞る
- 認知症などで判断能力が失われると、本人名義のままでは売却や大規模修繕の契約行為ができなくなる
- 相続発生後、遺産分割協議がまとまらず、家賃収入が凍結状態になる
特に3の「判断能力の低下」は見落とされがちです。所有者本人が同意能力を欠くと、たとえ家族であっても代わりに不動産を売ったり大規模なリフォーム契約を結んだりすることは原則できません。この空白期間をどう埋めるかが、承継設計の一番の肝だと私は考えています。
承継の主な選択肢を整理する
マンション経営を家族へ引き継ぐ方法は、大きく分けて次の3つのアプローチがあります。それぞれ税務・法務の建て付けが異なるため、必ず専門家に相談したうえで自分の状況に合うものを選ぶ必要があります。
相続 ― 何も準備しなければ辿り着く道
生前に何も手を打たなければ、オーナーが亡くなった時点で法定相続に基づいて資産が引き継がれます。民法は相続人の範囲や法定相続分を定めており、遺言がなければ相続人全員による遺産分割協議が必要になります(e-Gov法令検索「民法」)。マンションのように分割しにくい資産は、相続人が複数いる場合に「誰が経営を続けるのか」「他の相続人にどう代償を払うのか」で揉めやすく、協議が長引くほど賃貸経営の実務も止まりがちです。
生前贈与 ― 暦年課税と相続時精算課税
生前のうちに少しずつ資産を移していく方法です。贈与税には主に2つの制度があります。1つは年間110万円までの基礎控除がある暦年課税で、相続開始前の一定期間内の贈与は相続財産に加算される点に注意が必要です(国税庁 No.4161 贈与財産の加算と税額控除(暦年課税))。もう1つは、60歳以上の親や祖父母から18歳以上の子や孫へ贈与する際に選択できる相続時精算課税で、累計2,500万円までの贈与について贈与時点の課税を抑えつつ、相続時に精算する仕組みです(国税庁 No.4103 相続時精算課税の選択)。どちらを選ぶかで将来の税負担が大きく変わるため、資産の評価額や将来の値上がり見込みも踏まえた試算が欠かせません。
家族信託(民事信託) ― 判断能力低下に備える第三の道
比較的新しい選択肢として、家族信託(民事信託)があります。これは所有者(委託者)が元気なうちに、信頼できる家族(受託者)に不動産の管理・処分を託し、収益は本人(受益者)が受け取り続けるという仕組みです。認知症等で判断能力が低下しても、受託者が契約に定めた範囲で物件の管理や修繕、売却などを続けられるのが最大の利点とされています。
似た制度に成年後見制度がありますが、これは家庭裁判所が選任した後見人等が本人の財産を保護する制度で、本人の利益保護が目的である分、積極的な資産運用や大規模なリフォームには裁判所の許可や慎重な判断が求められる傾向があります(裁判所「成年後見制度(後見・保佐・補助)の概要」)。賃貸経営を止めずに引き継ぎたい場合、家族信託と成年後見のどちらが実情に合うかは、家族構成や資産状況によって異なります。
相続税の負担を左右する「小規模宅地等の特例」
賃貸マンションを相続する際に大きな影響を与えるのが、小規模宅地等の特例です。一定の要件を満たす貸付事業用の宅地等は、200平方メートルを限度に評価額が50%減額されます。居住用宅地等であれば330平方メートルまで80%減額となるケースもあります(国税庁 No.4124 小規模宅地等の特例)。この特例の適用可否や有利判定は要件が細かく、申告書への記載や必要書類の添付も求められるため、実際の適用にあたっては税理士に確認することを強くおすすめします。
遺言書という最後の意思表示
相続人同士の協議を円滑にする最もシンプルな手段は、遺言書を残しておくことです。2020年から始まった自筆証書遺言書保管制度を使えば、法務局が遺言書を保管してくれるため、紛失や改ざんのリスクを減らし、相続開始後の家庭裁判所での検認手続きも不要になります(法務省「自筆証書遺言書保管制度」)。母にもこの制度の話をしたところ、「そんな仕組みがあるなら早めに動いておきたい」と、実際に検討を始めています。遺言は一度書いたら終わりではなく、資産の状況や家族関係の変化に合わせて見直すものだという点も、専門家からよく指摘されます。
実務としての承継 ― 経営の「見える化」から始める
税務や法務の制度設計と同じくらい重要なのが、日々の経営実務の引き継ぎです。私が母の経営を手伝うようになって最初に感じたのは、情報が紙とエクセルと記憶に分散していて、いざというときに家族の誰も全体像を把握できない、ということでした。
- どの部屋が誰と契約していて、家賃はいくらか
- 保証人・緊急連絡先の情報は最新か
- 家賃の入金と滞納の状況はどうなっているか
- 固定費・修繕費など運営コストの月次収支はどうなっているか
これらが特別なツールがなくても紙の台帳で管理できていた時代はありました。しかし後継者となる子世代が離れて暮らしていることも多い今、経営状況をいつでも家族で共有できる仕組みを持っておくことは、事業承継の「地ならし」として非常に有効だと感じています。私たちが開発している賃貸管理システム「大家One」も、まさにこうした課題意識、つまり紙と記憶に頼った経営から、家族で見える化された経営への移行を後押ししたいという思いから生まれました。
承継のタイミングをどう決めるか
事業承継に「早すぎる」ということはあまりありません。中小企業庁のガイドラインでも、後継者の育成や資産移転には一定の時間がかかることが強調されています(中小企業庁「事業承継」)。マンション経営の場合も同様で、次のようなタイミングを一つの目安として検討してみてください。
- オーナーが70歳を迎える前後で、資産の棚卸しと家族会議を一度行う
- 大規模修繕や建て替えなど、大きな意思決定の前に承継方針を確認する
- 相続人となる家族の人数やライフステージが変化したとき
大切なのは、一度にすべてを決めようとしないことです。まずは現状の資産と経営情報を家族で共有するところから始め、その上で税理士・司法書士等の専門家を交えて相続・生前贈与・家族信託のどれが適しているかを検討する、という段階を踏むのが現実的だと感じています。
まとめ:承継は「相続の日」ではなく「今日」から始まる
母のマンション経営を間近で見てきて感じるのは、事業承継とは相続が発生した日に突然始まるものではなく、日々の経営情報を家族と共有し続けることの延長線上にあるということです。次の世代への引き継ぎをスムーズにするために、まずは今のマンション経営・アパート経営の状況を可視化し、そのうえで相続、生前贈与、家族信託といった制度をどう組み合わせるかを、専門家とともに考えていく。それが、遠回りに見えて実は一番の近道だと思っています。
なお、本記事で紹介した相続税・贈与税・家族信託等の制度は一般的な説明であり、個々の資産状況や家族構成によって最適な選択は異なります。実際の税務・法務の判断にあたっては、必ず税理士・司法書士・弁護士等の専門家にご相談ください。
参考にした情報源
- 中小企業庁「事業承継」
- 国税庁 No.4124 相続した事業の用や居住の用の宅地等の価額の特例(小規模宅地等の特例)
- 国税庁 No.4103 相続時精算課税の選択
- 国税庁 No.4161 贈与財産の加算と税額控除(暦年課税)
- 法務省「自筆証書遺言書保管制度」
- 国土交通省「空き家対策」特設サイト
- e-Gov法令検索「民法」
- 裁判所「成年後見制度(後見・保佐・補助)の概要」
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